天喜五年、源頼義公とその子義家公とが勅を奉じて、奥州の安部貞任を討ち、宗任を下し、戦勝を記念して、山城国石清水八幡宮を勧請し、永く源氏の武運長久を祈願しようと、頼義公は鶴岡八幡宮を、義家公は当社を勧請されました。その時が康平六年(西暦1063年)8月である。
歴史
8月第4土曜・日曜は、例大祭で、賑わう
特徴
建久三年(西暦1192年)には源頼朝より社領を与えられ久良岐郡の総社となったと言います。江戸期には、杉田村の鎮守として崇敬され、明治六年には村社、大正11年5月神饌幣帛供進神社に指定されたと言います。